予防と健康レポート
「アスベスト 石綿肺」
はじめに、石綿吸入による健康被害は、現在おおきな社会問題になっている。従来から現代の都市生活者では、臨床的に問題にならない低濃度の石綿の吸入は高頻度に見られるとされてきた。しかし最近では、臨床的に問題となる石綿吸入による健康被害が、労災補償の対象となる職業環境による吸入のみではなく石綿関連工場の近隣住民などに及んでいることが明らかになり、労災による補償ではこれらの健康被害を救済できないため、石綿による健康被害の救済に関する法律が公布された。石綿関連疾患は、労災補償では石綿吸入環境での一定期間の作業従事歴の証明が必要となるが、今般の石綿による健康被害の救済に関する法律では石綿吸入環境での作業従事歴の証明は必要としない。すなわち本法による救済は、非職業性暴露による症例をその主な対象とし、いわゆる一人親方で労災補償の対象にならない例も対象に含まれる。また今回の救済法で救済対象になるのは、緊急の対策を必要とする石綿関連悪性腫瘍である胸膜中皮腫と石綿関連肺がんに限られているが、その他の疾患に関して救済の対象とするかどうかは今後の検討の結果とされるらしい。
石綿吸入による呼吸器疾患には、石綿関連良性胸膜病変、石綿関連肺繊維症、悪性中皮腫・肺がんなどの石綿関連悪性腫瘍がある。石綿関連良性胸膜病変では、石綿関連良性胸膜水、胸膜プラーク、びまん性胸膜肥厚などがある。胸膜プラークは主に白石綿クリソタイルに関連する病変と考えられているが、壁側胸膜の線維肥厚である。胸膜プラークは、トルコなどで産生されるエリオナイトなどの特殊な鉱物を除けば石綿の吸入に特徴的な病態であり、比較的少量の吸入でも生じるとされる。これ自体が機能障害を起こすこと事は少ないが、ある一定以上量の石綿吸入の既往を客観的に示す重要な所見である。石綿関連良性胸水は石綿吸入の比較的早期に生じる血性の胸水であるが、その病態はあまりよく解明されていない。また、びまん性胸膜肥厚は臓側胸膜のびまん性肥厚であり、病変が高度になると拘束性肺障害を来すことがある。石綿肺症〔asbestosis〕は肺実質の線維化であるが、比較的高濃度の吸入で生じるとされる。すなわち肺実質の変化である石綿肺症があれば、胸膜プラークのみの症例より多量の石綿の吸入があったと推定されることになる。線維化は、気道中心性の線維化のパターンを示すこともあれば、UIP/IPFと全く区別がつかない線維症を示すこともある。このような例では、肺内に石綿小体や石綿線維が証明されない場合は、特発性あるいはその他の原因による肺線維症と病理学的にも画像的にも鑑別がつかない。
石綿吸入に関連する悪性腫瘍としてはびまん性中皮腫と肺がんが代表的であるが、その他の悪性腫瘍にも関連があるとされる。びまん性中皮腫は、石綿吸入との強い関連性が証明されている。肺がんについては石綿がその大きな危険因子になるとされるが、喫煙などのその他の危険因子が多数存在しており、特に石綿吸入と喫煙が両方存在すると肺がんのリスクが50倍程度になるとされる。石綿吸入はその他の悪性腫瘍の相対リスクを上昇させることも知られている。
アスベストとの関連が明らかな疾病として、アスベスト肺(石綿肺)、肺がん、中皮腫、アスベスト胸膜炎(良性石綿胸水)、びまん性胸膜肥厚の5疾病がある。以下にそれぞれの疾病の概略を示す。
アスベスト肺(石綿肺)は塵肺の一種であり、アスベスト粉塵を吸入することによって起こる肺のびまん性間質性肺線維症である。胸部エックス線所見で下肺野の線状影を中心とする不整陰影を呈する。
原発性肺がんは、アスベストに特異的な疾患である中皮腫とは異なり、喫煙をはじめアスベスト以外に発症原因が多い疾患であり、アスベストよりも喫煙の影響のほうが大きいといわれている。そのためには、アスベストが原因であることを示す医学的所見とアスベスト暴露作業の従事期間が必要である。
中皮腫は、胸腔、腹腔、心嚢腔、精巣鞘膜腔において体腔表面を覆う中皮細胞から発生する。初期には壁側、臓側の体腔表面を発育・進展し、内腔にはしばしば滲出液が貯留する体腔の容積は減少し、肺や腸管の可動性は制限される。中皮腫診断が困難な疾病であるが、臨床検査だけでなく病理組織学的診断を行うことが重要である。組織型(上皮型、肉腫型、二層型)を決定するために、手術(摘出術)、内視鏡下生検、経皮穿刺生検、細胞診などを行う必要がある。ヘマトキシリン・エオジン染色やパパニコロウ染色のみでは診断が困難な場合が多く、免疫組織染色や電子顕微鏡などを用いて診断を行うように心がける「中皮腫としての確からしさ」が担保されなければ認定されず、患者は労災補償を受けることができない。
アスベスト暴露によって生じる非悪性胸水をアスベスト胸膜炎と言い、通常は片側で少量の胸水を認める疾患である。診断基準として、@アスベスト暴露歴がある、A胸水が存在する、B悪性腫瘍や結核など他に胸水となる疾患が見当たらない、の三項目を最低でも満たす必要がある。
アスベスト暴露労働者に発症したびまん性胸膜肥厚であって、次の要件のいずれにも該当するものは業務上の疾病として取り扱われる。
@ 胸部エックス線写真で、肥厚の厚さについては最も厚いところが5o以上あり、広
がりについては、片側にのみ肥厚がある場合は側胸壁の1/2以上、両側に肥厚がある場合
は側胸壁の1/4以上あるものであって、著しい肺機能障害を伴う。
A アスベスト暴露作業への従事期間が3年以上ある。
石綿〔アスベスト〕暴露作業とは、次に掲げる作業を言う。
(1) 石綿高山またはその付属施設において行う石綿を含有する鉱物または岩石の採掘、
搬出または粉砕その他石綿の精製に関連する作業
(2) 倉庫内等における石綿原料等の袋詰めまたは運搬作業
(3) 次のアからオまでに掲げる石綿製品の製造過程における作業
ア 石綿糸、石綿布等の石綿紡績製品
イ 石綿セメントまたはこれを原料として製造される石綿スレート、石綿高圧管、
石綿円筒のセメント製品
ウ ボイラーの被覆、船舶用隔壁のライニング、内燃機関のジョイントシーリング、ガスケット(パッキング)当に用いられる耐熱性石綿製品
エ 自動車、捲揚機等のブレーキライニング等の対磨耗性石綿製品
オ 電気絶縁性、保温性、耐酸性等の性質を有する石綿紙、石綿フェルト等の石綿製品(電気絶縁紙、保温材、耐酸建材等にもちいられている)、または電解隔膜、タイル、プラスター等の充填剤、塗料の石綿を含有する製品
(4) 石綿吹きつけ作業
(5) 耐熱性の石綿製品を用いて行う断熱もしくは保温のための被覆またはその補修作業
(6) 石綿製品の切断等の加工作業
(7) 石綿製品が被覆剤または建材として用いられている建物、その付属施設等の補修または解体作業
(8) 石綿製品が用いられている船舶または車両の補修または、解体作業
(9) 石綿を不純物として含有する鉱物〔タルク(滑石)等〕等の取り扱い作業
(10) 上記(1)から(9)までに掲げるもののほか、これらの作業と同程度以上に石綿粉塵の暴露を受ける作業
(11) 上記(1)から(10)の作業周辺等において、間接的な暴露を受ける作業
今回の石綿健康被害救済法の枠組みでは石綿吸入環境下での作業従事歴の証明を必要とし
ないので、ある一定以上の石綿を吸入した証拠は、肺内に一定以上石綿線維あるいは石綿
小体が証明されること、または画像上石綿を吸入した所見が見られることである。石綿線
維や石綿小体の計測には剖検または手術標本、気管支肺胞洗浄(BAL)検査が必要になる。最
近の都市生活者では、極めて微量ではあるが石綿の暴露を受けている。しかし、画像所見
で明瞭な胸膜プラークを形成するのはある一定量以上の容量の石綿を吸入していた証拠と
して重要である。
今回救済法の対象となるのは、びまん性中皮腫と肺がんに限定されていることはすでに述
べたとおりであるが、びまん性中皮腫は石綿吸入との関連が疫学的に明瞭であり、病理診
断の確からしさが十分担保できればほぼ石綿に関連する腫瘍と考えてよく、救済の対象と
される。しかし肺がんに関しては、喫煙などの他の多くの危険因子が存在しており、肺が
んが本当に石綿に関連したものかどうかの検討が十分になされなければならない。本法で
は労災補償に準じて、肺がんの発生リスクが2倍以上になると思われる量以上の石綿暴露
があれば石綿吸入との関連を認め、救済の対象とするというのが基本的な考え方である。
肺がんの発生のリスクを2倍以上に高める石綿の吸入があったとする根拠としては、ヘ
ルシンキクライテリアによるのが標準的であり、このクライテリアでは肺がんの発生を2
倍以上に高める被爆量として石綿線維25本/ml×年の被爆を上げている。その他の文献
においても、多くの業種でおおむね20〜25本/ml×年以上の被爆量がその基準として
想定される。ヘルシンキクライテリアではこの石綿被爆に相当する所見として、乾燥重量
1g当たり石綿線維200万本(5μm以上の長さの石綿線維)、または500万本(2μm
長の石綿線維)、または石綿小体5000本以上、BALでは洗浄液1ml当たり石綿小体
5から15本以上がその基準として挙げられている。一方画像所見に基づく基準では、画
像上に胸膜プラークが見られる場合は肺がんの発生リスクは1.3〜3.7倍に増加する
と言う報告があるが、Hillerdalらの大規模調査では胸膜プラークのみでは肺がんの発生リ
スクは1.4倍であったと報告されている。
今回レポートテーマとビデオによって今まであいまいにしか理解できていなかったアス
ベストのことが保健医療的に病理的に理解できた。耐久性、耐熱性、耐薬品性、電気絶縁
性などの特性に非常に優れ安価であるため、日本では「奇跡の鉱物」などと珍重され、建
設資材、電気製品、自動車、家庭用品等、様々な用途に広く使用されてきた。しかし、空
中に飛散した石綿繊維を肺に吸入すると約20年から40年の潜伏期間を経た後に肺がんや
中皮腫の病気を引き起こす確率が高いため、「静かな時限爆弾」などと世間からおそれられ
ている。日本では1970年代以降の高度成長期にビルの断熱保熱を目的などにアスベストが
大量に消費されていたため、その潜伏期間がちょうど終わり始める21世紀に入ってからア
スベストが原因で発生したと思われる肺がんや中皮腫による死亡者が増加している。2040
年までにそれらによる死亡者は10万人に上ると予測されている。また、アスベストが使用
されたビルの寿命による建て替え時期が本格的に始まり、新たなアスベストによる被害が
生まれてしまうのではないかと懸念されている。
これからどんどんアスベストによる中皮腫が増えてくると予想されるが中皮腫は常に致死
的で中皮腫の患者のほとんどは、診断から1?4年以内に死亡して、化学療法や放射線療法
にも十分な効果がなく、手術で腫瘍部分を取り除いても癌は治らないのでこれからの医療
の大きな課題となることは間違いないだろう。